さて前回、Netflixで始まった細木数子氏をモデルにした「地獄に落ちるわよ」の序盤までに少し触れてみました。
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Netflix「地獄に落ちるわよ」配信開始:思いと行動力はやはり人を作る
Netflixで「地獄に落ちるわよ」が配信開始となりました。 「六星占術」で2000年代はテレビに出ずっぱりだった細木数子さんを題材にしたドラマとなります。 このかた、当時はテレビなどのメディアでもの ...
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細木数子というかたの生い立ちから、まだ若い20代前半くらいまでの商売の才覚を見せ始めた頃までで思うところを簡単に語っています。
配信開始から3,4日が経ち、SNSなんかを見てみると「一気見した」と言う人も結構いたようですね。
20年くらい前にテレビに出まくっていた細木氏を知っている世代では、ドラマをすべて見て改めて「やっぱり最低なヤツ」と感情を吐き出したかたもいたでしょう。
特に中盤から終わりにかけては、黒い付き合いや島倉千代子との金銭を巡る確執もそれなりに描かれていましたからね。
演じていた俳優たちも「どこまでが本当でどこからが嘘なのか分からないけど」と語っていたように、細木数子にあった噂をそれなりに踏襲しながらうまくまとめていた感じでした。
最後まで見てみたら、期待していた以上に面白かったです。
もっと細木数子の黒い部分を揶揄ばかりして視聴者を煽るような作品なのかと思ったのですが、細木数子という人が数々のスキャンダルを暴露されながら、なぜこれほどまでに大衆を惹きつけていたのかを生い立ちから紐解いて見せてくれたような気がします。
今回も改めて書いておくと、このドラマの冒頭には「真実に基づいた虚構」というテロップが入ります。
それでも、ある程度の真実をもってなぞられた一人の人間ドラマがあまりにも壮大で、「虚構」を意識させられていながら、細木数子の「生き様」には圧倒されるものもありました。
そう、このドラマで細木数子の人生とは、まさに「生き様」ですね。
筆者の場合、自分が生きてきた年月を振り返ってみた時、「生き様」とはまったく呼べないという事実に気が付き愕然としてしまいました。
人が何か「信念」を持って行動すると、周りはそれを「欲望」と呼んで白い目で見たりします。
自分の「信念」を貫いてそれを成し遂げる様は、時に人を蹴落としたり、人を騙したりと言う背景が存在している場合もあるでしょう。
そして逆に「信念」が強すぎて、自分が騙され傷つく場合もあるのです。
もちろん法を犯せば罰せられますし、人を傷つけたり命を奪ったりすれば相応の代償を支払わなければなりません。
ただそれだけ「生き様」を見せられる、というのは本気で人を愛し、金を愛し、仕事を愛した結果なのです。
これだけ「フィクションを含んでいる」と断っているのに、視聴者に「細木数子はやっぱりひどい奴」と思わせたり、「むかつくけど全話ちゃんと見た」と言わせたりするのは、角度は違えどその「生き様」に魅了されたからに他ならないでしょう。
あくまでドラマの話です。
最後に細木数子さんは、自身の生涯を小説として書き上げた作家の美乃里さんにこう言っていましたね。
「あんたの小説は面白かった。ただしそれは、あたしの人生が面白かったからだ。あんたが作り出す物語にそんな力はあるか?」と。
自分の人生を「面白い」と言い切れるほど、満足な人生を送れている人はどれだけいるでしょう。
そこに至るまで、泥水をすすって血反吐を吐く思いをしながらもです。
いやむしろ、リスクを負ってでも自分の信念に沿って動いてきたからこそ、多くの批判や反発を食らいながらも自由に自分の人生を謳歌できたのではないでしょうか。
完璧に誰一人も傷つけずに、脛に1つや2つ傷を持たずに人生を順風満帆に生きて成功した人などおそらくいないでしょう。
そしてその成功を妬んだり蔑んだりする人たちは、その人の脛の傷を持ち出して人格まで否定しようとするのかもしれませんね。
「あたしの言葉には力がある。大衆が耳を傾ける」
最後にそう語っていた細木数子の言葉は、実際にそう言っていたのかどうかは分かりません。
しかし、よくテレビに出ていた頃は、占いだけでなく「人生訓」みたいなものを語る場面も多かったような気がします。
それは酸いも甘いも経験しながら、自信を持って自分の人生を送ってこれた彼女の「生きてきた力」であり、あの当時の視聴者はその力強い語り口調に、つい耳を傾けてしまったのかもしれませんね。
演じていた戸田恵梨香の最後の顔が「怖い」と言う人もいますが・・・。
筆者には「悔いのない人生を生き切ってやった」という満足のような細木数子の顔が、戸田恵梨香に乗り移ったようにしか見えませんでした。


