アメリカのロサンゼルス西部を襲った山火事は、現在も拡大を続けているようです。
10万人以上が避難し、ハリウッドの著名人たちも多くが被災しました。
アメリカの都市別人口ランキングでも1,000万人を越える2位のロサンゼルスは、乾燥地帯に位置し、自然な降水量が非常に少ない土地柄としても有名です。
今回の火事で、昨年5月から「まとまった雨が降っていない」という事実を聞いた人たちが驚きの声を上げていましたが、そうすると不思議なのが「人口1,000万人を超える乾燥地帯ロサンゼルスは、普段の水をどのように確保しているのか」という点ではないでしょうか。
では、この大都市を支える「水」事情について少し歴史に触れながら確認してみたいと思います。
ロサンゼルスが奪ったオーエンズ川
実は、ロサンゼルスが乾燥を克服できた理由は「水を強奪」したからに他なりません。
これは「カリフォルニアの水戦争」としても知られ、それを主導したのはアイルランド生まれの土木技師で、ロサンゼルス市水道局(LADWP)の初代局長を務めた「ウィリアム・マルホランド」です。
それまでのロサンゼルスは、人口も少なく「ロス・エンジェルス川」から取水した水やその周辺の地下水を水源として、地域的な井戸や小規模な灌漑で賄っていました。
人口が増えてきた20世紀はじめに、マルホランドはロサンゼルスの北に位置する「オーエンズ川」からロサンゼルスまで水路を引く計画を推進したのです。
地図で見ると相当距離があります。
距離にして350kmから400km弱あるので、北海道で言うと「札幌市の北部から函館市まで」、関東圏から見ると「埼玉の大宮から名古屋まで」に水路を引くようなものになります。
オーエンズ川は、「シエラ・ネバダ山脈」(地図の赤い点線部分)と「デスバレー」に挟まれ、雪解け水を多く含んでいます。
マルホランドは秘密裏に手を回して、シエラ山脈の東側から流れ落ちる雪解け水の大部分がオーエンズ川に流れ込むようにしたのです。
そして、強奪した上水路からロサンゼルス市街のサンフェルナンド・バレーまで水を移動させるためのパイプラインを開通させました。
現在でも地図上には、ロサンゼルスの水道から出る水の取水元が表示されます。
当時は世界最長だったこの送水路のおかげで、水を確保したロサンゼルスの人口はさらに飛躍的に増加したのです。
住民の怒り
これによって、オーエンズ渓谷付近の住民は暴動を起こしました。
オーエンズ川から流れ込む豊かな農業用の水が、すべて「ロサンゼルスへの水」へと転用されたためです。
現在でも、カリフォルニア州の北部の人々は、水利権を奪った南部(ロサンゼルス)に住む人々に対して嫌悪感を抱く人が多いと言われています。
その結果、1928年までにロサンゼルスはオーエンズバレーの90%の水を所有するようになり、この地域の農業は事実上消滅してしまったのです。
映画化もされた水戦争
さて、今回山火事が発生した乾燥地帯であるロサンゼルスの水事情にまつわる歴史に触れてみました。
あれだけの大都市を形作ったのは、北部の豊かな山脈から流れる水を総延長300km以上ものパイプラインによって確保したからでしたね。
政府を始め南部の人から見たら水利権を確保したとなりますし、北部の人から見たら水を奪われたとなるでしょう。
同じカリフォルニア州で暮らす人々であっても、日本で暮らす私たちには分からない特別な感情が渦巻いているのかもしれませんね。
この事実は、本の主題になったり映像化されたりしています。
1974年の映画「チャイナタウン」では、カリフォルニア水戦争にインスピレーションを得て作られ、その紛争をフィクション化したものが中心的なストーリー要素となっています。
そして「マーク・ライスナー」が1984年に米国西部の土地開発と水政策について書いたノンフィクション本「キャデラック砂漠」で取り上た主題の一つでもあります。
参考文献
ローレンス・C・スミス著『川と人類の文明史』
Wikipedia「California water wars」