昭和時代を子供として過ごしてきた筆者にとって、大人からのげんこつやびんたは当たり前でした。
褒められる時は褒められるし、怒られる時はきちんと怒られる・・。
昔のドラえもんは、だらしないのび太がよく”罰”として廊下に立たされていましたが、今のドラえもんはそういう罰として怒られる描写が若干減っていると言われていますよね。
大山のぶ代さんのドラえもんしか知らないので噂に聞いた程度ですが・・
いつ頃だったか、「褒めると子供は伸びる」と言われるようになりました。
気合と根性で叩き上げる時代は終わり、「褒め上手」な人が「子供の能力を伸ばす上手な人」という地位が確立されました。
そして、それは大人の世界でも当然のように浸透していったのです。
では、何でもかんでも褒めればいいのかと言えば、それは違うと思うのです。
本当に褒め上手な人というのは「嫌味がなく胡散臭さがない」のが特徴ではないでしょうか。
誰かから褒められた時を想像してみてください。
その際に無理やり褒められているような違和感を感じる褒め方を挙げてみましょうか。
- さすがです!
- それ、最高です!
- へぇ~知りませんでした!
- 素晴らしい!
- そのとおりですよ!
- 凄~いですね!
言われた相手にもよりますが、なんだか反って馬鹿にされているような感じがしますね。
つまり自分が褒める立場になった時に、こういった褒め言葉はあまり使わない方がいいかもしれない、という意味でもあります。
本当に褒め方が上手な人は、「褒めた方が好感度が上がる」とか「褒めて伸ばすのが良いと世間で言われるようになっている」などの下心がないので、本当に自然と誉め言葉が出てくるかたです。
このような人は、心から「素晴らしい」と思っているので、「褒めといてやるか」などの上から目線でもありません。
相手が上司でも部下でも生徒でも子供でも、相手に対する敬意が自然と言葉に現れるわけですね。
加えて、こういった褒め上手な人は、相手を褒める際に必ず自分の体を真正面に相手に向け、真正面から相手の目や顔をしっかりと見ます。
褒める以外の時でもそうですが、真剣に話をしていない・聞いていない人というのは、相手に顔だけを向けたり目を合わせなかったりと体の向きや顔の向きが話す相手にしっかり向いていない場合が多いのです。
一般的にコミュニケーション能力が高い人と言うのは、普段のちょっとした会話も上手なので誉め言葉も自然に出てきます。
「この人、話しやすいなぁ」と思う人の話し方を想像してみてください。
ちょっとした相槌の褒め言葉にも嫌味がない上に、常に体全体が自分の方に向いてこちらの目を見つめて話していませんか。
そこに軽くジェスチャーを入れたりして、さりげない姿勢を見せられると心地よい安心感があるのです。
そう、もし褒めるところが見つからないのであれば、褒めなければいいだけの話なのです。
頭でっかちな人は「何が何でも褒めなきゃ」というプレッシャーを感じるそうですが、何が何でも褒める必要はない、というだけの話ですね。