その昔、デパートやパチンコ屋は閉店直前になると、来店しているお客さんへ本日の終業時間をお知らせする「蛍の光」をBGMとして流すお店が多くありました。
これらのお店のBGMはメロディーだけがほとんどなので、歌詞を知らないかたも多いかもしれません。
蛍の光でよく歌われるのは、1番と2番です。
最初に1番の歌詞を書いてみましょうか。
いつしか年も すぎの戸を 明けてぞけさは 別れゆく
学校でも卒業式にかかる定番の曲だっただけに、1番の歌詞は「勉学に励んだ日々を重ねていく内、いつの間にか年が明け旅立つ別れの日がやってきた」と言う意味になります。
夜遅くまで勉強できたのは、蛍の光が窓の雪に反射した明かりのおかげだというわけですね。
次は2番の歌詞です。
心の端を ひとことに さきくとばかり うたふなり
とどまる者も、旅立ってゆく者も、今日が最後なので、お互いに思い合う無数の
気持ちを一言で表します。ただただ「お元気で(無事であれ)」と祈りながら歌います。
という意味で、今日で最後となる友たちとの別れのシーンが目に浮かびます。
ただ一言、お元気でと祈り歌いながら、それぞれの道へと旅立つ別れの歌なわけです。
デパートやパチンコ屋、それ以外にも何かの最後に流れる蛍の光には「これで最後。またいつか会おう」という意味が込められているわけです。
もちろん、これらのお店は「またいつか、と言わず明日も来てよ~ん」って思っているわけですけど。
まあこんな感じで、「蛍の光」は「お別れの曲」として認識されているのです。
実は2番までと思われている「蛍の光」の歌詞には、まだ続きがあるのをご存知ですか?
「蛍の光」で歌詞を検索してもだいたい2番までしか出てきません。
しかし歌詞にはまだ続きがあり、3番と4番があるのです。
ではなぜ3番と4番は表に出てこないのでしょうか。
Web検索で「蛍の光」と入力して、サジェスト機能で見ても続きの歌詞の話は出にくくなっているのです。
それでは3番の歌詞を見てみましょう。
海山遠(とお)く、隔(へだ)つとも、
その真心は、隔て無く、
ひとつに尽くせ、国の為(ため)
意味は何となく分かります。
筑紫というのは、九州の端にあり、みちの奥とは「みちのく」つまり東北の奥になります。
海や山を越えてお互いに離れ離れになっても、私たちの心は一つ。
お互い国のために尽くそう。
さっきまでみんなで旅立ちのお別れのイメージがあったのに、3番の歌詞は急に「みんなで国に奉仕する」というニュアンスに変わってきます。
最後に4番の歌詞です。
八洲(やしま)のうちの、守(まもり)なり。
至(いた)らん国(くに)に、勲(いさお)しく、
努(つと)めよ我が背(せ)、恙(つつが)無く。
千島列島も沖縄も、すべて日本(八洲)の守るべき領土だ。
これから行く先々の国でも、手柄を立てて、どうか無事でしっかり励んでおくれ!
とうとう日本の領土をきちんと守ろう、という国家防衛の歌詞になってしまいました。
そうなんです。
「蛍の光」という歌は、単純なお別れの歌ではなかったのです。
そして旅立った先でもみんなの心は一つで、国のために尽くそう。
だって国家の守るべき領土はここ(千島列島)からここ(沖縄)まであるんだから。
どこに行っても、国のためにみんな無事にしっかり励もう。
国家防衛を意識させるための歌であり、戦前は日本の領土の範囲によって歌詞も違いがあったようです。
しかし戦後、軍国主義的なようでふさわしくない、という理由からGHQによって教育の場面で3番と4番が削除されるようになりました。
そのため、歌詞を知っている人であっても、1番や2番までしか知らないというのが「蛍の光」の特長なわけですね。
こういった「長年知っているつもり」になっていたものでも、「実はその続きがあった!」というのは結構あります。
「情けは人の為ならず」ということわざには、続きがあって「情けは人の為ならず、巡り巡って己がため」となります。
他人への親切な行いは、やがて自分に良い結果として返って来る、という意味になります。
また、「ラジオ体操」も「ラジオ体操第一」は有名ですが、動きが難しくラジオでは伝えづらかった「ラジオ体操第三」は幻のラジオ体操とも言われています。
こういった一般的に知られている「デフォルト値」以外にも実は続きがあった、というようなものは探すと結構あるかもしれません。
「蛍の光」の歌詞のように、Web検索やWeb上のデータを基準としているAIだけでは見つからない、もしくは探しきれないものが世の中には無数に存在しているかもしれないわけです。
時には「常識を疑え」という意識を持っておくと、新たな発見をするチャンスが巡ってきそうな気がしますね。

