「自分はたくさん知っているから何でも頼んで!」と豪語して、周囲の人にそれを吹聴するのは大きな間違いです。
その後で、「あなたは何でも知っているのよね」と色々と任された結果、何もできなかったとなるのは非常に痛い結末ですよね。
まぁ、これはいわゆる「知ったかぶりが過ぎる」というやつですね。
こういう人は、人が話している内容に食いついてきて、自分も知っている内容であれば自分の知識を披露したくなるタイプかもしれません。
しかし、本当に大切なのは「自分はまだ何も分かっていない」と考え、「知らない、分かっていない」という自覚です。
自分の持っている情報がアップデートされていなかったり、知識不足や考え違いをしているかもしれません。
「知っていても知らないと思うのが最上」
知らない自分を恥じるのではなく、「知らないなら正直に知らない」と言える自分になった方がいいでしょう。
同時に、自分の知識不足を恥じた上で、知識を貯めこもうとする人がいます。
いわゆる「ウンチクの好きな人」ですね。
知識を身に着けただけの人は、決して優れた人物にはなり得ません。
得た知識で自分をよく見せようと思よりも、その知識を使って世の中を豊かにしたり、人々の役に立ってみんながよりよく生きられるように変革したりする方が、本来の優れた人物として評価は高まるでしょう。
「本当の知者は博識ではなく、博識な者は本当の知者ではない」
自分の知識を増やすよりも世の中のために働く方が賢い生き方と言えるのかもしれません。
でも、まぁ身近にこの手の人達は結構いますよね。
このような人たちは決して悪気があるわけではないのですが、一緒に仕事をしたりグループで何かを請け負って一緒に作業をしたりする時点では、あまりご一緒したいタイプではないでしょう。
最近、久々にこのような「知らないと絶対言わない人」や「ウンチクを語り出したら止まらない人」を同時に見たので、なんとなく話題にしてみようかなと思いました。
対外的に見てみると、このどちらにも共通するのは「自分に満足してない」感じが透けて見える気がするのです。
知らない自分に満足できない、みんなが感心してくれる知識を披露できない自分に満足できない、と足りない自分では満足しないという姿勢を伺えるのです。
今の時代、スマホ一つ、検索やAIの力で分からない物はなんでもすぐ調べられます。
結局、ウンチク話も、その話が一言一句本当かどうかをAIに聞いた人が、「ちょっと数字が違うっぽい(笑)」とすぐに指摘できる時代です。
やはり知識は、人より優位に立つために披露するものではなく、それをどのようにより良く利用できるかに尽きるのではないかと思いましたね。