金融機関のATM脇にある「お札を入れるための無料の紙封筒」(以降、封筒)が、フリマサイトで売られていると話題になっていましたね。
今回はこれを色んな視点から考えてみたいと思います。
0円で誰でも制限なく
最初に、これが日本ならではのレアなサービスであると言う点を認識しておく必要があるでしょうね。
金融機関側が利用者の利便性を考えた上での無料サービスであって、本来なら封筒を必ず揃えておく必要はありません。
さらに持っていってよい枚数に制限がなく利用者の判断に委ねている点、利用者側も使う場合だけ当たり前のように1人1枚、2枚しか持っていかない、もしくはまったく持って行かないと言う点は、もしかすると日本以外では成立するサービスではないのかもしれません。
商品価値
次にこの封筒に関する商品価値について考えてみましょう。
断っておくと、決して「商品」という位置づけの物ではありません。
ただし今回のようなケースでは、大量に封筒を持ちだした人はそれに商品価値を見出したわけなので、倫理観や道徳とは一旦離れて考えてみます。
タンス預金しか信用できず、金融機関に1円もお金を預けていない人にとってはATMを使う機会はないかもしれません。
それでもATMというのは、使える時間帯であれば例えお金を預けていなくても誰でもその機械の前に立てるのです。
一方、銀行にお金を預けている人であれば、金融機関の相互提携によっては預け先とは違う銀行のATMでも利用できたりします。
つまりATMというのは、どんな人がどこに住んでいても、その前に立つのは誰でもできるというわけです。
そして各金融機関は、このATMを使ってお金を引き出したかたのために、誰でも無料で使えるように各ATMのそばに封筒を置いています。
・・・と、まぁ日本で暮らしている人であれば、ほとんどの人が当たり前の話に聞こえるでしょう。
銀行だけでなく、信用金庫や信用組合などのように存在根拠が銀行法でない金融機関でもこの「お札を入れるための無料の紙封筒」は置いてあります。
先ほども挙げたように「無料で誰でも好きなだけ持っていける」という善意のサービスを逆手に取ると、「誰でも無料でいくつでも”仕入れ”られる」と言う意味にもなります。
ただし一昔前、もっと言えばオンライン環境がない時代では、”そんな物”を大量に持っていっても何の価値もなかったはずです。
なぜかと言うと、仮に封筒を売ろうとした場合に、売る相手に「珍しさ」を提供できず、「売る相手も限られてしまう」からです。
おそらく生れたときからオンライン環境が当たり前だった人が、封筒はこの2点を提供できると気が付いたわけです。
希少性
オフライン環境の場合、自分が暮らす金融機関の封筒など珍しくも何ともありません。
筆者は北海道で暮らしていますが、大泉洋がCMしている「北洋銀行」、または住宅ローンを組んでいるほど個人的なローンに関しては色々とお世話になっている「青森みちのく銀行」などは、珍しくもなんともないです。
仮にこれらの銀行の封筒を誰かから対面で「300円で売ってあげるよ」と言われても、「アホか」で終わりですよね。
ただし九州旅行をした友人が、鹿児島銀行や西日本シティ銀行、琉球銀行の封筒を持って帰ってきて、売り込まれたらどうでしょうか?
「どうせ無料(ただ)で持って帰ってきてるんだから1枚くらい頂戴よ~」となるかもしれません。
少なくとも「アホか」だけでは終わらない可能性が高くなりそうです。
オフライン環境の場合、九州に旅行に行ったこの友人の行動が、「九州に封筒を仕入れてきた」と言い換えてみましょう。
いくら無料で手に入れられても、仕入れにかかる出張費という経費がかさんで、この友人にとっては得でも何でもありません。
売る場所
では沖縄に住んでいる人が、琉球銀行の封筒をただで持って帰ってきて欲しい人に売ろう、と考えたとしましょうか。
念のために言っておくと、オフライン環境です。
つまり売る相手は、身近な人かその辺の欲しい人に上げるかしかありません。
「北海道の人に売りたい」と思ったら、北海道まで行かなければなりません。
もちろん、同じ沖縄の人が琉球銀行の封筒を売りつけられても・・そうです「アホか」で終わりですね。
北海道の人に売ろうと思ったら、同じように出張費(旅費)をかけて現地に行く必要があります。
オンライン環境があって成立する
そう、この「封筒が大量にフリマサイトで売られた」と言う話は、現代のオンライン環境があって初めて成立するわけですね。
オンライン環境があれば、日本中の誰にでも物を販売できるし、誰でも販売できるプラットフォームがたくさんある。
もちろん「それはやっちゃダメでしょう!」というモラルが優先されるべきですし、「これはやってはいけない」と誰もが思います。
しかし、オフライン環境しかない時代には無意味だったものが、オンライン環境があれば小売りとして成立してしまう一例でもあります。
ましてやキャラクターとのコラボや季節的な限定物があればなおさらですね。
「必要なだけ持って行ってください。」と無料で置いてある物ですから、事件性はありません。
これまでの日本であれば倫理観や道徳、つまりモラルが上回って「無料で持って行っていいとは言え、そんな好きなだけ持っていくなんてしない。」という時代だったかもしれません。
ただしこれから有料につなげるための無料サービス、特に実物の無料提供を考える場合には、今回の封筒の件はいい事例になったと言えそうです。
十方よしに反する・・しかし・・
モラルもそうですけど、この封筒の販売はビジネスとして成立するものではなく、販売者の小遣い稼ぎでしかありません。
ビジネスとは、自分が仕入れたものを提供してくれた仕入れ業者も、それを販売した先の顧客も、それを繋いだ自分と自分が抱えている従業員やその家族すべても幸せになる「十方よし」となって初めて成立します。
しかし一方ではこうも思うのです。
この封筒の問題を決して正当化するわけではありません。念のため。
「人が気が付かないような、中々やらないような点に着目して実際にやってみる」と言う考えは、ビジネスアイデアを考える上でも必要です。
しかも凝り固まった頭では思いつかないようなアイデアは、突飛な発想から生まれたりします。
筆者が今回の封筒のニュースを聞いた時は、「憤り」よりもむしろ「へぇ~」と少し興味を引かれたのも事実です。
封筒の販売を思いついた人には、これをきっかけに、誰もが納得してみんなを幸せにできるサービスの提供や販売の提供方法を考えてもらいたいものですね。

