「マンデラエフェクト」ってご存じですか?
「事実とは異なる記憶を大勢の人が共有していた」という一種の陰謀論や都市伝説とされています。
しかし、あまりにもこの異なる記憶を持っている人が多くいるため、その瞬間だけ「パラレルワールドに移動していた」や「本流の時間軸とは別の支流の時間軸を体験した」など、「マンデラエフェクト」を解決するための俗説が今でも多く出回っています。
そう、面識のない不特定多数の人々が「私はこういう記憶だった。」と同じ記憶を共有できる、正にインターネットの掲示板などへの書き込みが流行った掲示板全盛期の「怪奇現象」とも言われています。
「マンデラエフェクト」という用語の元は、「南アフリカのネルソン・マンデラ大統領」でした。
彼が2013年に死亡した際に、「いやいやマンデラは、それよりも前に獄中で死亡していたでしょ」という誤った記憶を持った人が大勢(インターネット上に)現れて、こういった現象が「マンデラエフェクト」と呼ばれるようになっていったのです。
そして、この「誤った記憶を大勢の人が共有する」現象は、日本でも起きました。
一番有名なのが、「宮尾すすむ」の死亡時期でしょう。
「宮尾すすむって誰?」というかたは、ウィキなどで調べてもらうとして、昭和生まれであればあの大きな目を見開いて「ハイッ!」という姿が思い浮かぶのではないでしょうか。
司会やCMなどテレビで結構拝見していた印象がありますが、この宮尾すすむの死亡日である2011年7月12日を、実はもっと前、「2000年より前にすでに死亡していた」と記憶している人が相当数いたらしいのです。
それは、インターネットの掲示板に「宮尾すすむの死亡日」に関するスレッドが立ち上がり、賛同する人がたくさんいたために判明したのですが、なぜ2000年より前に宮尾すすむが死亡していたと思った人が多かったのでしょうか。
その理由は、「奥さんが亡くなった1994年から程なくして旦那さんである宮尾すすむも亡くなった、とワイドショーで見た。子供さんが可哀そうだと思った。」からだそうです。
そして2000年より前に、そのワイドショーなどで実際に宮尾すすむの葬儀中継を見た、と記憶している人もいるくらいです。
しかし、実際は宮尾すすむの亡くなった日は2011年なので、この葬儀の中継やらワイドショーやらはおそらくすべて「記憶違い」となるはずです。
あまりにも記憶違いの人が多いため、これも「マンデラエフェクト」ではないかと言われたわけですね。
さて、筆者の2000年頃は20代の半ばを謳歌していた時期なので、記憶もそれなりに持っています。
この「宮尾すすむ」という芸能人をもちろん覚えていますし、顔も何もかもすぐにパッと思い出せるほどのかたです。
今回「マンデラエフェクト」という現象を知って、これについて書いてみようと思い調べていくと久々に「宮尾すすむ」の名前が出てきたのですが、正直な話「そう言えばそんな人もいたよなぁ」という思い出し方でした。
「今はどうしているんだろう・・?あ、やっぱり既に亡くなっていたんだ。最近まったく見なかったしね。」というレベルで、13,4年も前に亡くなっていたという事実すら覚えていませんでした。
つまり、筆者にとっては「2000年より前に宮尾すすむが亡くなった」という見識はない上に、「2011年に本当に亡くなっていた」という事実さえも、この記事を書くまではまったく分からなかった、となります。
「宮尾すすむ」の話も色々な陰謀論やオカルト系が渦巻いていますが、やはり誰かとの間違いや記憶違いなのかもしれませんね。
それにしてもこの「マンデラエフェクト」って思っていた以上にたくさんあるんですよね。
少し例を挙げてみましょう。
- オーストラリアとニュージーランドの位置がおかしい
- ピカチュウのしっぽの色が黒だった
- ドリカムがメンバー内で結婚していた
- 巨人の星のオープニングで星飛雄馬がローラーや古いタイヤを引いているシーンがあった
- E.Tに少年と指を合わせるシーンがあった
- 小室哲哉が薬物で逮捕された
- 天安門事件の無名の反逆者は戦車の前から立ち去ることはなく轢き殺された
- 『タッチ』主題歌の一節が「ため息の花だけ~」ではなく「ため息の数だけ~」だった
「マンデラエフェクト」についての考察や関連記事などは結構たくさんあり、上記のような記憶違いが指摘されています。
一部だけですが、挙げてみた上の8つの内、筆者が分からなかったのは「ピカチュウ」と「巨人の星」だけであり、後はすべて「違う」と言い切れる記憶を持っていました。
タッチの歌詞を「ため息の数だけ~」と歌ってしまうのは分かる気がします。
しかし・・・・・。
筆者にも「マンデラエフェクトなのか?」と思うものが1つだけありました。
それは・・・「天空の城ラピュタのエンディング」です(上の一覧にはありません)。
何で見たのか記憶は定かではないのですが、初めてラピュタを見たのは小学生の時(昭和時代)なので、インターネットはありません。
そのため、ほぼ間違いなくテレビ(映像で見た気がする)だと思うのです。
ラピュタのエンディングに、「マンデラエフェクト」で言われているように「最後にパズーがシータの故郷を訪れるシーン」があったのを鮮明に覚えているんですよ。
本来、最後はパズーとシータが海賊たちと別れて上空に飛び立つところでエンドロールとなり、その後の話は一切出てきませんよね。
でもね、記憶にあるんですよ。「その後」が。
それも映像で見た気がするのです。
でも映像だったかどうかはあいまいな記憶なんですけどね。
実際、小学生から中学生にかけてラピュタを2,3回くらい見たのですが、その間にこの「別のエンディング」と言われるものを見た気がするのです。
それ以降は例えテレビで放送されていたとしてもラピュタを見る機会はあまりありませんでした。
ただ、大人になって約20年ぶりに久々にラピュタを最後まで見た時に「あれっ?パズーがシータの故郷を訪れるシーンって昔見たような気がするのに・・」と言う少し不思議な感覚が、この時に記憶として残りました。
そして、つい先日「ラピュタの別エンディング」が「マンデラエフェクト」として挙げられているのを見てから、まざまざとあの不思議な感覚が蘇ってきたのです。
ジブリの公式には、「別のエンディングはない」と発表されているらしいですね。
小説やファンによる同人誌などで続きが描かれている場合があるらしいので、おそらくそれを見たのかもしれませんが、一つお伝えしておくと、筆者はラピュタの小説や同人誌をまったく読んでいないのです。
しかも、先ほども言ったようにインターネットのない時代ですから、見た媒体は限られてくるでしょう。
とは言うものの、じゃぁ「やっぱり自分はパラレルワールドに行ってしまったのか・・」とは思いませんでしたね(笑)
おそらくその後の絵や作られた後日談なんかをテレビや友達の家などで見たのかもしれません。
この「記憶に残っているのに”それは違う”」と言われる「不思議な感覚」っていうのは、確かに少しオカルトな気分になりますね。
自分の過去は、自分にとっての歴史でもあるわけですが、その歴史の一部に歪が出たような・・。
つい、その記憶を他に持っている人を探してしまう気持ちも分かる気がしました。
えっ、マンデラエフェクトの大元である「ネルソン・マンデラ」についての記憶はどうなっているか、ですか?
それがですね・・・筆者はマンデラの写真を見た時にもっと前に亡くなっていた、と記憶していたのです。
マンデラってあの教科書にも絶対出てくる人だったし・・・と調べてみると筆者が思っていたその人の名前は「マーティン・ルーサ・キング・ジュニア」。
そう、キング牧師と間違えていただけでした。