最近の生活の中で、”やっぱり貧乏性だよな”と思ったちょっとした出来事があります。
それは、戸棚の奥から賞味期限切れのお茶がいくつか出てきた時なのですが・・。
それらのお茶の中には、少量しか入っていない静岡の銘茶や、福岡で有名な八女茶、桃の香りがするティーパックのお茶など、「150g300円ぐらい」で売られているスーパーのお茶より、少しだけ値段の高いお茶たちが数種類もありました。
眠っていた戸棚自体は、普段からよく開け閉めするところでした。
さっき言ったような安いお茶やほうじ茶、紅茶のティーパックなどが入っていて、よく目に触れる場所でもあったのです。
じゃぁ、なぜそのような値段も高くて旨そうなお茶たちが長年放置され続けてきたのか、というと・・・
それはやはり”貧乏性”が引き起こした結果ではないだろうか、と考えてしまったのです。
もちろん、何かのタイミングで戸棚の扉を開けた時に、これらのお茶の賞味期限を確認した記憶はあります。
そして、少しくらい期限が過ぎてもまったく飲めなくなるぐらいおかしな味にはならないだろう、と高を括っていた記憶があるのです。
「高いお茶だから。お客さんが来た時に、出すだろうし。後々必要になるからとっておこう。」
と、ほとんど来やしないお客さんを想定して保管しておいたのですが、それがそもそも間違いだったわけですね。
そう、普段から高いものを口にしたり消費したりしないからいざ、そういったものを手にした時に大事に取っておいてしまったのです。
自分の消費のために購入したのだから自分で味わい、もしお客さんが来る予定が入ったら、改めて値段のいい美味しいお茶を購入すればいいだけの話だったのです。
思えば、このような普段値段が高くてあまり口にしない物をつい出し惜しみしてしまうお話は、何にでもあてはまるのではないでしょうか。
後生大事に自分の内側だけで抱えていては、自分も相手も損をしてしまいます。
大げさかもしれませんが、普段から自分の経験値にはお金をかけてでも手に入れた方がいい(高いお茶を買った方がいい)理由はたくさんあると思うのです。
もちろん、そのためには稼がないとダメですが、自分が経験した内容を人に伝えていこう(高いお茶はすべて使い切ろう)と思ったら、惜しみなく伝える。
そして、新たな情報(別の高いお茶)をまた伝えていくためにはさらにお金を掛けなければならない、と思うのです。
今の時代、何でもインターネットで購入できるようになりました。
それは「本来、お金をかけなければ手に入らなかった情報が無料で手に入るようになった」という受け手にとっての手軽さですが、情報を提供している側(お茶を作っている側)は、その質の高い価値を生み出すために相当な労力と財力を懸けているのだと思うのです。
たかだか数百円高いだけのお茶の賞味期限を切らしただけなのに、なぜか深く考え込んでしまいました(暇ですね(笑))。
「貧乏が敵なのではなく、貧乏的な発想をする自分自身が敵になってしまっていたのだな」と汲んできた山の湧き水で湯を沸かし、買ってきた静岡銘茶の「掛川茶」を飲みながら反省をしているところです。