「デューデリだん!」でおなじみの藤村聖子さんが書いているNoteの記事で思うところがあったので、少し書いてみようと思います。
今回の「吊り革争奪戦」は、満員電車だと起こりそうなお話ですよね。
上のリンクをクリックしないかたのために、一応簡単に書いておきましょうか。
満員電車で自分が掴んでいた吊り革から少し手を離してしまった隙に、他の人にその吊り革を取られてしまって、取られた自分が悪いのか、あからさまに取った相手が悪いのか、揺れと戦いながらモヤモヤしてしまったというお話です。
それにしても「満員電車」って嫌ですよね。
筆者も今から15年ほど前までは、埼玉から東京都内までよく満員電車に乗っていました。
電車が加速すると同じ方向にみんなの体が流れ、そこで陣取り合戦になったり、遠くの方(実際の距離は近いんだろうけど人がいっぱいだと遠くに聞こえる)で「この人痴漢でーす」と騒いでいる人たちがいたり、まぁ藤村さんの吊り革のお話もそうですが、色々なドラマがあるものです。
今回の吊り革の件は、まさに筆者もバージョン違いを見た経験があります。
あくまで昔の目撃情報です(笑)
「ん?バージョン違い?」
と思われたでしょうから説明しておきましょう。
やはり満員電車の車内で、吊り革に普通に捕まっていた女性がいらっしゃいました。
そのそばに踏ん張って立っていた少し大柄な男性がいたのですが、とうとう揺れに我慢できなくて手で掴む輪っか(丸い部分など)ではなくて、その輪っかを吊るしている部分を掴んだのです。
女性は少しびっくりしたような感じでしたが、車内の混雑状況と手を握られたわけではなかったのがひとまず幸いしたのか、そのまま何事もなく電車は進み、やがて電車内の混雑が緩まってそれぞれの立ち位置を確保できたようでした。
でも、輪っかを吊るしている部分を持たれると、輪っかを持っている女性の方が少し自由が利きづらいみたいで、お互い少し引っ張り合いのようになっていたのを覚えています(この描写、何となく分かってもらえましたか?)
藤村さんから吊り革を奪った人が男性なのか女性なのかは、記事中からは分かりませんでしたが、女性だとしたらもしかすると確信犯かな、という気はしてしまいますね。
もし藤村さんが文句を言おうものなら、「吊り革から手を離したから降りるのかと思ったじゃない。何よ」とかなんとか言いながらニヤリと嫌な笑い方をする女性の悪い顔が思い浮かんでしまいました(何じゃそりゃ)
でも、この吊り革を奪った人が男性だとしたら、2つの理由が考えられそうな気がするんですよ。
一つは、満員電車で手を下げていたくなかった。そう、もちろんその理由は痴漢に間違われないようにするためです。
男性の心の声
どこも掴む場所がない。でも、手がこの位置にあるのはまずい。痴漢になるわけにはいかない。くそっ、吊り革も全滅だ、ん?
あ、あの人場所を移動するのかも(降りるのかも)、吊り革から手を離した。よっしゃぁ、吊り革ゲットォ。
あ、あれ、移動しないの?(降りないの?)・・・ま、いいか、もうしょうがない、オイラもここで吊り革を離すわけにはいかない。。。
これであれば、藤村さんが吊り革に捕まっていたのは分かっていたけれども、藤村さんが移動するのか(もしくは状況によっては降りるのか)と思ったために、とっさに吊り革を掴んだ、となります。
電車が走っている最中であれば、もちろん移動だの降りるだの関係なくなるので、その場合は「辛くて思わず掴んでしまった」という感じにしておきましょう。
もう一つの理由、それは藤村さんご本人が書くには少し書きづらいでしょうから代弁しますが、吊り革を掴んだ男性が「藤村聖子のファンだった」可能性です。
男性の心の声
めっちゃ混んでるやん。ん?あっ!あれ藤村聖子だ。おいおいこんな満員電車に乗ってんのかぁ。
うわぁ吊り革掴んでるよ。おっ手を離した。藤村聖子の吊り革ゲットォ!間接的に手をつないだぜい!。
あ、やべっ、吊り革取られて怒ってる。。。
というものです。
決して、「藤村聖子の吊り革」ではないのですが、ファンであればそれは間違いなく「藤村聖子の吊り革」になるでしょう。
どうでしょうか?
上のような「泣く泣く吊り革を手にした」、「ファンだったからとっさに掴んだ」という男性達の気持ちがあればまだ可愛いものだと思えるかもしれませんが、もし隙を見て吊り革を奪った確信犯だとしたら・・・。
筆者としては、同じ男として「こいつはすげぇなー」と思うんですよ。
だって、明らかに移動する気配も降りる気配もない場面であれば、ちょっと目の前の人、それも女性が吊り革から少し手を離したくらいでそれを掴みに行くってのは、結構勇気がいると思うんですよね。
相手が女性だからと舐めていたのか、確信犯だけど本当にどうしようもなくて泣く泣く掴んだのか。
だからこそ、藤村さんは悩んだようです。
「泣く泣く掴んだ」と信じたいけど、「ニヤリと笑われて奪われた」のではないか、と。
何にせよあの恐怖の満員電車ですからねぇ。
例え悪気はなくても、空いた席、空いた空間、空いた吊り革には無我夢中で奪い取る人はたくさんいるかもしれませんね。
というわけで、このお話を読んでもう一つ思ったのがタイトルにもある「帳尻合わせ」なんですよ。
人が何かやらかした時にそれを嘲笑したり、人が周りから尊敬の念に満ちたまなざしを向けられた時に一人だけ蔑んだり、いわゆる「人の失敗を喜び、人の成功をねたむ人」ってたまに見受けられるじゃないですか。
最近だと筆者の周りにはそういう人ってあまり見ないんですけど、以前こんな人がいたんです。
北海道の冬道は滑りやすくなるので、車の事故が増えます。
普段気をつけて運転している人でさえ、その時の路面状況で止まれずに軽く追突するなどの軽微な事故を起こす場合もあると思うのです。
むしろ、気をつけて運転しているからこそ軽微で済んだという話でもあります。
これはどちらも知り合いなんですが、仮にAさん、Bさんとしておきましょうか。
Aさんは普段気をつけて運転をするかたなのですが、やはり冬道の時に思ったほどブレーキが利かなかったらしく、前の車に軽く追突するという事故を起こしました。
Aさんや相手のかたにケガなどはなく、車の損傷もAさん側のかすり傷程度で大事にはなりませんでした。
その話を聞いたBさんが、笑顔いっぱいで筆者に「Aさん、やっちゃったらしいよ」とルンルンで報告に来ました。
実は、このBさんの車の方がぶつけた跡が山ほどあるので「あんたが言うか!」と思いましたが、普段自分の方が事故が多いのに珍しくAさんが事故を起こしたという一報を手にしたBさんは、ここぞとばかりにAさんに状況を詳しく聞こうとします。
そして、Bさんはそれを自分の身近にいた知り合いとの話のネタにしていたのです。
「Bさんさ、そうやって人が起こした事故を笑っているとまた自分も事故を起こすよ」
「いや、今は気をつけているから大丈夫」
なんてやり取りをしたその日の夕方、Bさんから「いやぁ、事故ったわ」と連絡が来ました。
冬の夕方以降は路面が凍結します。とは言え・・・
最初は、昼間の会話から冗談で言ってきたのかと思ったのですが、後日見たBさんの車は見事に凹んでいました・・・。
実は、このBさん。
何の件だったか忘れましたが、その前にもやはりAさんの何かしらのミスを軽くなじった後に、自分もやはり同じミスをやらかしたという前例があったんで何となく思い出してしまったのです。
だいぶ脱線しましたね。
つまり人を馬鹿にしたり嘲笑したりインチキしたりで、相手に不快な思いをさせたりマウントを取った人は、いつかそれが自分に跳ね返ってくるものだなぁ、とこのAさんとBさんのやり取りを見ていて思ったものです。
でも、こういう人生の帳尻合わせって個人だけじゃなく、グループだったりチームだったり、地域同士なんなら国同士だってあるのかもしれません。
筆者自身もこれまでを思い返せば、「あれは帳尻合わせかもな」と思いあたるものはいくつかありましたしね。
実際どうだったかは文章中から分かりませんでしたが、おそらく藤村さんは文句も言わず黙ってやり過ごしたと思うのです。
でも、相手がもし「奪うつもりで吊り革を取りに来た」のであれば、その後どっかで(本人が気にしないような)小さくても帳尻合わせがあったのではないでしょうか。
例えば、吊り革をゲットしたまさにその右手を自宅マンションのエレベーターの扉に挟んだとか、帰宅した自宅で包丁で切ってしまったとか。
藤村さんも「意図せず吊り革を奪われた腹立たしい気持ち」と「この場面を誰かに見られていたらちょっと恥ずかしい(多分見られていると思いますが)気持ち」、「許す?許さない?のモヤモヤな気持ち」など色々な思いが交錯したようですが、このマイナスな気持ちを抱えさせられた後に、何か気が付かないようなプラスの面があったかもしれません。
と、これまでつらつら書いてきたような話を思いながら、今回のnoteの記事を読んでいたんですが、藤村さんは自分が喰らったマイナスを最後に一番いい方法でみんなに分散していましたね(笑)
上のリンクをスルーしたかたは、是非読んでみてください。