先日からちょっとパソコンで単純な作業をやっていたんですよ。
ショップサイト構築に関連した作業で、それが自分のサイトであるという責任感の薄さのせいか少しだらだら感がまとわりつくわけです。
以前にお話した「時間割」による作業管理もここ最近ばかりは一旦無視をして、一極集中していたのですが中々思うように集中が続かない・・・。
そんな時は音楽でも聴きながら、と洋楽のプレイリストやヒーリングミュージック系をYouTubeで探していたら、ふと1980年代の日本のポップスのベスト50とかを見つけたわけです。
試しに1986年を再生してみました。
光GENJIや男闘呼組などのジャニーズがわんさか出てくるし、今ではそれなりに年を重ねた昔のアイドルたちの懐かしい曲が掛かります。
この頃を小学生として過ごしていた筆者は、ブラウン管の汚い画面の中でお兄さん・お姉さんが歌う姿を眩しく見ていたものでした。
しかし自分だけ時が流れて再び見るアイドルたちの姿はこんなにも変わるものなのか、というくらい、、、オホン、まぁ懐かしかったのです(笑)
色んな曲を聴き続けていたら、ふと夏の甲子園にまで思いを馳せてしまった一人の歌手がいました。
それは「浜田麻里」というシンガーソングライターです。
当時、松田聖子や中森明菜のようなアイドルが全盛期だった頃とほぼ同時期に、歌だけの単独で勝負していた女性が何人かいました。
小比類巻かほると渡辺美里、そして浜田麻里あたりがそうで、アイドルとは全く違う女性シンガー像を見せてくれていましたね。
ちょっと前にアン・ルイスや麻倉未稀、同時期で中村あゆみですかね。分かる人集まれ~。
その浜田麻里が歌う「TOMORROW」と言う曲があります。
浜田麻里の全盛期を知っている人は、筆者と同じような時代を生きた人たちでしょう。
この人たちに「浜田麻里で一番売れた曲は?」と聞けばおそらく「Return to Myself」と返ってくると思うのです。
でも当時シングル化もされていないこの「TOMORROW」は、自身にとってサザンよりもTUBEよりも夏を感じる歌であり、何とも言えない思い出が蘇るのです。
それは夏の甲子園で松井秀喜選手が喰らった5打席連続敬遠です。
1992年の熱闘甲子園のエンディングテーマ
当時高校1年生だった筆者の記憶では、確かすべてビデオテープに録画したはずなので、実家に帰れば出てくるかもしれません。
その内、探しに行きたいと思います(笑)
1992年は当時星稜高校の3年生だった松井秀喜選手が、最後の夏の甲子園でどのような結果を出すか期待されていた年でした。
そして結果は・・・若い人でも知っている人が多いかもしれませんが、5打席すべて敬遠されて明徳義塾高等学校に敗戦となったのでした。
そんな「TOMORROW」は熱闘甲子園のエンディングテーマとして毎回流されていました。
特に最終回に関しては、この大会に出場して敗れてきた高校生たちの映像と彼らが発したであろう一言のメッセージが字幕で表示されながら、後ろで流れる「TOMORROW」がまた絶妙に良かったのです。
とにかくこの年の甲子園はドラマがたくさんありました。
毎回、エンディングで流れる「TOMORROW」を聞くだけで、何とも言えない感情が盛り上がったものです。
それほどまでに、甲子園の高校野球とこの曲のマッチングは凄まじくて、以降2,3年くらいは熱闘甲子園を見続けましたが、浜田麻里の「TOMORROW」以外にマッチする曲はなかなか見つかりませんでした。
強いて言えば、その何年か後にたまたま見た熱闘甲子園で流れていたスガシカオの「夏陰」が「おっー」と思いましたが、それでも「TOMORROW」には及ばなかったですね。
久々に「TOMORROW」を聞いてみました。昔買った「TOMORROW」のアルバムCDを引っ張り出してきて。
やっぱりいいですね。いいのか悪いのかこの曲を聞くと脳裏には甲子園の映像しか出てこないのですよ。
これが当時シングルカットされなかったのが本当に不思議です。
というのも、オープニング曲には「TOMORROW」と同じくらい熱闘甲子園にふさわしい曲が掛かっていて、この2曲はどちらかをカップリングにしてシングル化されても不思議ではないと思ったからです。
1992年の熱闘甲子園のオープニングテーマ
この年の熱闘甲子園のオープニングは、同じ浜田麻里の曲で疾走感のある「Precious Summer」が掛かっていました。
この曲が掛かると熱闘甲子園が始まるのもそうだし、何かが始まるような感じがするんですよね。
オープニングもエンディングもこれだけ夏の甲子園に似合う曲は中々ないと思うのです。
そしてどちらもシングル化されなかった・・。
TM Networkの「STILL LOVE HER(失われた風景)」や氷室京介の「Lover's day」のようなシングル化されない名曲ってたくさんありましたけど、浜田麻里のこの2曲はシングル化していれば、毎年夏に必ず売れたのではないかと今でも本気で思っております。
さて、この「Precious Summer」や「TOMORROW」を聞いて松井秀喜選手の敬遠が蘇った後、実は報われなかった甲子園のヒーローがもう一人思い浮かんだのです。
それは、西日本短大付属高校の森尾和貴投手です。
松井秀喜にすべて持っていかれた優勝投手
西日本短大付属高等学校は福岡県にある高校で、現日本ハムファイターズの新庄監督の母校でもあります。
森尾投手という名前を聞いて思い出せる野球ファンがどれくらいいるかは分かりません。
あの時代をVTRでよく見ている人は、ほとんどが松井秀喜の敬遠は知っていても、優勝した西日本短大付属のエースナンバーを背負った一人の投手は覚えていないでしょうし、その名前となればなおさらでしょう。
この森尾投手は何が凄かったのか。
今では投手も分業制となった高校野球において、まだまだエースが一人で大会を投げ抜くのが美徳とされていた時代に、当然のように一人で投げ抜きました。
そして決勝までの5試合で、自責点は「半分エラー」とも言えるタイムリーヒットで取られた1失点だけで、後はすべて完封勝利を遂げたのです。
決勝戦の拓大紅陵戦は1対0での完封勝利で、この試合を含む4試合はすべて完封したわけです。
つまり5試合を9回まですべて一人で投げて「イニング45回」を達成した投手が、わずか1失点だけというほぼ完ぺきのピッチングでした。
平成以降の夏の高校野球の投手では、防御率が断トツナンバーワンだったそうです。
今でも覚えているのはコントロールが恐ろしく素晴らしい投手だったという点で、全5試合で与えた四死球はたったの2つだけだったとか。
あの当時を生で見てきた人たちは思うわけです。
もし、松井選手と森尾投手の対戦が実現していたら・・・。
森尾投手はプロには進んでいないので、当然松井秀喜選手とプロでの対戦もありませんでした。
そう、そんな森尾投手は今でも福岡県の人の認知度は高いそうです。
「森尾君って分かりますか?」と福岡県民に聞くと、だいたい「あ~西短のエースの」となるそうです。
悲運だったのは、これほどの素晴らしい投手があの5打席連続敬遠という大事件で霞んでしまったところですね。
冒頭でも言った通り、熱闘甲子園の最終回では各校の選手たちが映し出されます。
途中で仲間たちと楽しそうにしている松井秀喜と、最後に決勝戦を戦い抜き頂点に立ったエース森尾和貴が映し出されるエンディングのその背景には浜田麻里の「TOMORROW」が流れる。
50目前の中年が、昔一番熱くなった熱闘甲子園のそんなワンシーンを思い出しました。
結果、集中できなかった
というわけで話が2転3転しました。
集中するつもりの音楽から思い出された記憶の数々で、結局のところ作業が捗るどころかノスタルジーによって完全に向かうべき方向を間違えてしまいました(笑)
「しゃあない、またTOMORROWやな~・・・」
窓から見える海岸線に沈んでいく夕日を見ながら、しょうもない呟きだけが出てくるのでした。

