もう20年近く前になります。
筆者は仕事の出張で、小笠原諸島へと向かいました。
この頃はまだ世界自然遺産に登録される前で、西之島周辺の海底火山による噴火もまだ始まっていませんでした。
小笠原諸島というのは色々な大小の島々から成っていて、その内、有人島は父島と母島のみです。
住所としては「小笠原村」となり、父島に役場などの公共施設があります。
父島でホエールウォッチングができる場所から真正面を向くと兄島の姿を拝めます。
兄島なんかはちょっと泳げばたどり着きそうな距離にあるんですけどね。
兄島、そしてその北に位置する弟島は島の面積がそこそこ大きいとは言え、住人は一人もいないのです。
それなのに父島からさらに船で2時間くらいかかる距離の母島の方には、数百人の住人がいらっしゃるわけです。
そんな父島への出張時、季節は夏でした。
父島へは、東京の竹芝桟橋から「おがさわら丸」と言う船に乗るしか方法がありません。
掛かる時間は24時間。つまり朝10時に竹芝桟橋を出発すると、翌日の朝10時にようやく到着するという、小笠原諸島は正に日本の秘境とも言える場所なのです。
会社のお金なので、もちろん寝泊りは「2等和室」です。
2等和室と聞くと、それなりの部屋かと思うかもしれませんね。
まぁ部屋は確かにもの凄く広いです。いわゆる大広間に敷かれた畳ですから。そして好きな場所に雑魚寝をするタイプです。
結構乗客が多いと、寝転がれば足は向かいの人の足とくっつき、隣には知らないお兄ちゃんやお姉ちゃん、おじさんやおばさんが寝ているようなそんなカオスを味わえます。
そうだと分かっていれば、自分でお金を足して個室を予約したのに(笑)
ただ、あれだけの人数が同じ部屋にいても、海の上だからか暑さはそれほど感じなかったですね。
そんな状態で、いざ出発すると穏やかな航行が2時間ほど続きます。
東京湾、つまり房総半島と三浦半島の間を航行中は船の揺れはそれほどでもないのです。
確かアナウンスで「これより太平洋を航行します」のような一言が入った瞬間だったと思います。
大嵐がやってきたのかと思うくらいに船が”ぐわんぐわん”と揺れ始めたのです。
穏やかだった最初の2時間くらいの航行で、大広間のあちこちに置かれた「吐くための洗面器」を見ながら、「こんなに必要ないんじゃない?」と思った自分を呪ったくらいです。
改めて思いました。「そりゃ、これくらいの洗面器が必要だわ」と。
何とか耐えた24時間後、正確には25時間ほどかかって父島の二見港に着きました。
二見港に到着した船は本土から積んできた様々な物資の荷下ろしをするため、その日は二見港に停泊します。
実は夏場は船の発着ペースが変わります。
1泊した船は、翌日の午後には二見港を出港し、竹芝桟橋つまり本土へと向かってしまうのです。
ところが・・・。
筆者が父島にやってきたタイミングは、ちょうど台風が小笠原諸島に接近している時でした。
天気予報でよく聞くフレーズですね
船の発着にも影響が出るかもしれないという噂が既に立っていたのです。
とりあえず午前中に到着したその足で、そのまま村役場へと向かいます。
午後にはアロハシャツを着た村長さんや休日のアウトレットにいるかのような爽やかな装いの役場のかたに案内され、仕事を開始しました。
予定ではその日の内、もしくはかかっても翌日の午前中までには終わり、そのまま15:00の船の出発には間に合うはずだったのです。
しかし予定が狂って自分の作業が思いのほかうまく進まず、仕事は翌日まで伸びてしまい、二見港に向かうのが結構ギリギリとなりそうでした。
そこに悪い知らせです。
なんと翌日15:00に出る船が台風直撃のおそれのため、時間を早めて出発すると言うのです。
翌日の午前中までならなんとか終わるかもしれない、と思ったものの、早まった船の出発時間は午前11:00でした。
「11:00だと終わらないかも・・(泣)」
案の定、予定より4時間ほど出発が早まった船は、まるで筆者を乗せまいとするかのように大急ぎで出航していきました。
いや、もちろん台風の影響で急いでいたんですけどね(笑)
こう言うと島民のかたには失礼かもしれません。でもやっぱり帰りの船を逃した筆者の失意は大きかったです。
その日の午後早くに仕事が終わり、村役場を出て何もいなくなった二見港を見つめながら、改めて港で帰りの船の予約を取りました。
すると、なんと・・・。
次に船が父島にやって来るのは「1週間後」だと言うのです。
ここで簡単に、夏場における本来の船のスケジュールを確認しておきましょう。
船が時間を早めて本土に帰ってしまった日を「当日」とします。
すると時間を早めたとは言え、本土までは24時間かかるわけですから竹芝桟橋に到着するのは「翌日」です。
同じように竹芝桟橋で荷物の積み下ろしなどを行うために1泊するので、竹芝桟橋から父島の二見港に向かって船がまた出発するのは「翌々日」になります。
そして実際に二見港に到着するのは24時間後なので、「3日後」になりますね。
そして父島で船は1泊し、その翌日には二見港を出港するので、今から「4日後」には小笠原諸島に別れを告げるはずでした。
そうなのです。台風が小笠原諸島付近を通って北上するわけですから、本土から父島に向かって船を出せないのです。
結局、「翌々日」に竹芝桟橋を出発するはずだった船はそこから3日間動けなくなり、最終的に帰れるはずだった「4日後」というのが「7日後」と変更してしまったわけです。
会社に事情を連絡したところ、「とりあえず今いる宿からもっと安い雑魚寝をする民宿のようなところへ泊って」と言われました。
しかし行きの船で相当な疲れを経験した筆者は「差額を自分で持つから普通の宿に泊まる」と言って、残りの一週間を個室が空いていたペンションのようなところで過ごしました。
正直な話、この時あまりお金を持っていなかった筆者はこの宿代を払うので精いっぱいで、残りの一週間は海と戯れたり、レンタサイクルで半島を一周したり、あまりお金がかからないようなアクティブな生活を送っていました。
宿の食事はおいしかったし、三日月山展望台からの夕日も堪能して、夜は星空と虫の鳴き声ですやすや眠れましたしね。
一度、父島で一番賑わっている二見港の周辺の飲食店にも行ってみました。
勝手に出てきた水のようなものまで料金に入っているのに驚きながら(笑)、おいしい食事もいただきました。
父島で暮らした一週間は普段の生活とはまるで違い、自分で言うのも変ですが見た目が少し若くなったんじゃないか、と思うくらい何と言うか自分の顔が「いきいき」とした表情に見えたのを覚えています。
一週間が経ち、無事本土へと帰ってきました。
そのまま会社へと帰り、部屋の中にいた人間たちの顔を見た瞬間は今でも忘れません。
「どうした・・みんなの顔が青白い!」
そうなのです。それまで一緒に働いてきた仲間たちなので、毎日顔を合わせていた時は全く気が付かなかったのです。
せっかく出迎えてくれたのですが、一週間見なかった彼らの顔はとにかく「色」がおかしくて思わず「どうした顔色が悪いぞっ!」と言って、元気にみんなの背中を叩いたものです。
そこからさらに2週間くらいし、父島での生活などすっかり過去のものになった頃、周りの人間の顔色が悪いとは一切思わなくなりました。
見慣れてしまったのか、自分の顔色も青白くなってしまい周りの顔色を何とも思わなくなったのか、真相は定かではありません。
でも自分の表情も特に変わった気はしないのです。
いや、もしかすると変わったのに気が付いていなかっただけなのかもしれませんね。
自分の父島でのいきいきとした表情が元に戻ってしまったのも気が付かないくらい、この会社の労働スタイルは何かがおかしかったのか。
あんなに青白く見えたみんなの顔色が、だんだんと普通の顔色に見えてしまうくらい、何かが毒されていたのか。
昨今のブラック企業の話題を聞くたびに、いつも秘境でのひと夏の体験を思い出すのです。

